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静かに行く者は、健やかに行く。健やかに行くものは…。

学生時代、大学の近くにあった小さな古本屋で立ち読みした本の中に、「静かに行く者は…」の言葉を見つけた。外国の著書だったと記憶しているが、誰の何というタイトルの本だったか覚えていない。

検索時代、

それはイタリアの経済学者パレートの言葉だと分かった。
パレートの法則のあのパレートの言葉らしい。
なんだかイメージと合致しない感じもするが、どこのなんという本に書いてあるのか。

読んだことはないが、城山三郎の著書にも「静かに 健やかに 遠くまで」
というのがあるが、私が出会ったのはその本ではなかった。

ま、言葉は、過去の誰かが語ったとしても、今の自分の思いがその言葉に共鳴し、まさに自分が言いたかった言葉だと思えれば、それはもう自分の言葉なのだと思う。

時間の経過とともに記憶の彼方に消えていくこの言葉を、勝手な記憶に置き換えて、私なりの表現で使ってきた。

「静かに行く者は穏やかであり、穏やかに行く者は健やかであり、健やかに行くも者は遠くまで行く」と。

世の中の出来事に一々反応し、とても穏やかとは言えない自分を戒めるための言葉だった。

今、年を重ねてみて、改めて自分が表現した言葉の意味を自分に問うてみた。

静かに行くとは、どういうことだろう?
穏やかとは、どういうことだろう?
健やかとは?
遠くまでとは?

今年、親友というには少し距離があり、親友ではなく友というには寂しく申し訳ない大切な方が、この世での人生の幕を降ろした。素晴らしいリーダーであり、才能豊かで、熱いけどいつも穏やかで、どこかクールで、頭が良くて、心がピュアな方だった。長い間の闘病生活を全く表に出さず、若いのに達観しているような穏やかさで、いつ会っても微笑むような眩しいい輝きを持っていた方でもあった。

穏やかな彼は、身体的には健やかではなく、遠くまで生きることも出来なかった。
しかし、心は、思いは、いつも健やかだった。
歩んだ時間は短くとも、これまで多くの若者たちの未来に大きな影響を与えて来た。
物理的な「遠く」ではなく、生きる質の意味での「遠く」を彼なりに生きたのだと思う。

「静かに行く者は穏やかであり、穏やかに行く者は健やかであり、健やかに行くも者は遠くまで行く」

静かさも、穏やかさも、健やかも、遠くも、人それぞれなのだ。

私なんかには目に見えない苦しみや、悲しみが彼にはたくさんあったのだと思う。
一度だけ、あまりにも辛い状況を知って、別れ際にただ手をとって心の中で「よく頑張ってるね」と伝えたことがあった。その言葉が伝わったように、ただ静かにじっと立っている彼の姿があった。

最後のときは、敬愛するHK氏を囲んで、四人で食事した2019年の冬の東京。
今は本当に遠くに行ったのだろうが、なんだかそうは感じない。
言葉も、表情も、雰囲気もどれもこれもが鮮明で綺麗に生きている。
今もなおイキイキと「今ここ」を穏やかに、健やかに、永遠の遠き道を輝いて生きている。
そんな気がしている。

by up-lift | 2021-11-02 22:00 | 癒し

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