疲れたときや、苦しみの中にあるとき、また迷いや不安の中にあるときは、
こうすべき!
ああすべき!
こうあることが正しい!
と、立派な「あるべき論」を言われても、ますます疲れるだけで、
「そう出来ないから苦しんでいるのに、なぜ追い討ちをかけるように正論ばかり言ってくるのか」と思ってしまうものです。
真面目であればあるほど、またいつも明るく元気な人だというイメージがあればあるほど、自分でも気づかないうちに強い自分を演じ、いつの間にか本来の自分を見失い心が疲弊してしまうこともあります。
そんなとき、一冊の本から一筋の光を見出すことがあります。
私の場合は、随分前ですが4ヶ月以上もの入院期間で救いとなった一冊が、遠藤周作著「聖書の中の女たち」でした。
でも、今日の一冊は、その本ではありません。
今日の一冊は、南直哉著 「『前向きに生きる』ことに疲れたら読む本」Kindle版
なんとなく前向きに生きていけるような空気感が生まれてきた今日この頃ではありますが、
やはりいろいろな面で辛さを抱えている方は少なくないと思います。
言葉にできない焦燥感やこれからの未来に対する不安。
そんなときは「前向きに生きよう!」とすればするほど焦り、他人と比較し、自分はダメな人間だと自分を追い込むこともあります。
この本の著者南さんは僧侶(住職と呼ぶべきかな)ですから、本人の苦しみと修行の中かで育まれた「苦しみの中にある人に寄り添う心」から生まれた一冊だと思います。
宗教的な面からは、自分の死生観とは違うなと感じる方もいらっしゃるかと思いますが、一つの考え方としては助けになると思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
仏教は、人間の弱さや苦しみから生まれた教え。
釈迦自身の始まりがそうですから、この世の現実をどう捉えて、そこからどう解放されて生きていけば良いのか。それを追求した思想だと言ってもいいかも知れません。
今はちょっと前向きに生きることに疲れたなと思う方は、少し休みつつ読んでみてはいかがでしょうか。
宗教的な観点からではなく、生きていく上での一つの考え方として。
興味があればこちらも↓Kindle版です。
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聖書とはちょっと違う愛と赦しにフォーカスしたキリストと女性たちの信仰が描かれていました。
いや、たしかに聖書の中に書かれている出来事が描かれていましたが、聖書の言葉の行間にあるキリストの思いや優しさが遠藤周作によってより鮮明に描かれたと言った方が良いのかもしれません。
ありのままのその人を受け入れ、赦し、そこから歩み出す勇気を与え、どこまでも愛そのもののイエスキリストの姿。
女性たちの純粋な信仰心とキリストのやりとりを読んでいて、いつも自分を厳しく追い詰めていた考え方から少し解き放たれたような気がした本でした。