鎌倉ひとり旅 |
Chemistryの曲を聴きながら、ゆったりと電車に揺られて鎌倉へ行ってきました。
初めて鎌倉を訪れてから、もう十年くらい経っただろうか。
そのときは、葉祥明さんのアトリエというか美術館というかを観るために行ったのですが、今回は、全くの無計画。
突然、鎌倉へ行きたいと思って、そのまま電車に乗り込み、鎌倉の駅に降りて、なんとなくぷらぷら。
歩いていると、鶴岡八幡宮があったのでご挨拶というか参拝に入り、おみくじをひいたりしてちょっとドキドキ。内容は、吉。ま、吉なら「良し!」。「別になんだろうが、おみくじなんて全然気にならない」と独り言を言いながら、ちゃんと備え付けの柱におみくじを結んできました。(しっかり、気にしてます・・・)


ああ、それにしても何とも涼やかな情緒あふれる風情。
これが日本の美しさなのだと改めて思いました。

昔の人たちは、自然と生活の調和をとるのにたけていたような気がしますね。
濃淡様々な緑に色づく山の嶺を背にして建つ家は、まるで美しい絵画の前に立つような感動を観る人に与えてくれます。
「素晴らしい!」
「素晴らしい!」
ひとりで、何度も繰り返しました。
鶴岡八幡からさらに目的もなく何となく坂道を歩いていると、今度は建長寺。臨済宗建長寺派大本山。禅のお寺です。
拝観料300円を支払って(イングリッシュ?とか言われながら・・・)境内へ入ると、いやこれがまた何とも素晴らしい!

静かで、穏やかで、清らかで、堂々とした剛柔合わせ持つ日本古来の美が、目に鮮やかに飛び込んでくる。樹齢730年というビャクシンの大木に迎え入れられ、悠久の昔に思いをはせて、命の素晴しさに改めて感謝!

境内の中を順路通りに進んでいくと、禅の道場があり、坐禅をしている方が一人。邪魔にならないようにと思いつつもパチリと写真撮影。(ちょっとうるさかったかな?でもま、これも修行。頑張ってください!)


帰りに「禅のある暮らし」と「やさしい禅の教え」という本を買って、感動しながら駅へ。
感動していてもお腹はへるもので、何かないかなあと思いながら歩いていると観光客でにぎわう道端にタイ焼き屋さん。通り過ぎてから、もう一度戻って、一個だけ買って、そばのベンチでいただきました。久しぶりに食べると、美味い!
幸せな気分で食べていると、主人が買い物にでも行ってしまったのか、おいてけぼりにされた犬が行き交う人を吠えてかなりうるさい。それでも、無視して食べていると、タイ焼きに目をつけた鳩が、足元で、意味もなくるくる回っていて、ついには、大胆にも私の手からタイ焼きを盗る作戦に打って出た。
「おっと・・・」
そうはさせまいと戦ったが、かわいそうだったので、ちょっとだけおすそ分けを。そこへ、1メートル85センチくらいの背の高いアラビアの王子様のような青年が近寄ってきて、
「あぶな~い」
と、キラキラ光る白い歯をかがやせて笑っている。
白いゆったりとした丈の短い麻のズボンとゆったりとした白の薄手の服。茶色に日焼けした肌に大きな目と白い歯。旅の途中らしくリュックを背負って歩いている。初めて会うというか見る人に、立ち止まって「あぶな~い」と言って何の警戒心もなく笑い語りかける姿に、なんと人間とは素晴しいものかとまた不思議な感動!
「ほんとに、あぶな~いですね」
と、ちょっとだけ外人らしく笑顔で挨拶して、その場を後にし駅へ。
そして、東京へ。
たった5時間ほどの短い旅でしたが、こころ豊かになれるいい時間でした。
様々なことが心に浮かんで、たくさんの感謝をすることができました。
おみくじには、

さへづり昇る
夕ひばり
身をば
心にまかせ
はてつゝ
自ら楽しんで行ける性質を恵まれています。心配はきりのないもの、苦悩はきっとあります。世間は虚ろ(うつろ)で自分の心が実です。心を豊かにしていけば笑いが自然に湧く様になります。
とありました。
なんとなく、ピッタリかな。
いつもみんなのことを気にかけている、心配しているつもりですが、その実、超マイペースな自由人ですから。
ま、いい旅でした。
今日の一言
おもしろきことのなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり
高杉晋作
開国前の日本、時代の規格に収まりきれなかった行動の人高杉晋作のこのことば、皆さんは、どう感じるでしょうか?
私の場合、一つのことに固執したり偏ったものの見方をしなければ、「心」次第で「おもしろきことの多い世」になるような気がします。
無常の世の中、移ろいゆくこの世の中で、ずっと同じであるものなどないし、執着すべきものも本当は何もない。人にこうしてほしい、ああしてほしいと思うことも、実際は小さなこと。自分の心が穏やかで何物にもとらわれず、本来無一物の気持ちでいれば、なんと楽なことか。木々の緑を見ても、周囲の人々の姿を見ても、すべてがただ美しい。自己憐憫も、周囲との比較も、他に対する高慢なプライドも、大らかで穏やかな心には入る隙などない。
人間の欲や形にこだわる性質は、ときに仕方なく、面倒なものですが、それでもときどき何にもとらわれない心の時間を持つことができれば、自分が本来大切にすべきものが見えて来るような気がします。勿論、それは自分の心の内側にあり自分でしか大切に出来ないもの。自分の心の外に、自分の心を満足させる何かを求めている限り、人は決して、本当の平安や穏やかな心にはたどり着けないと思うのです。
鎌倉の旅、いろいろな自分の弱さ脆さの見える旅でもありましたが、心の実を見つめることのできたいい旅でした。


皆さんも、素敵な毎日を自分で演出し、素敵な時間をお過ごしください!
さとし